まず四年間の代表任期を軽く振り返って思うことはありますか?
軽く?(笑)
四年間は確かに長かったなぁと思いますね。長かったけれども、一年目、二年目、三年目、四年目とそれぞれ同じようなことを繰り返しつつも、その踏み固めが貴重だったかぁという思いが残ってますね。特に東日本ブロックの合宿を恒例化できたのは印象強く、皆さんのご協力のお陰だと感謝しています。あとは新潟に種を蒔いてみたら、物凄い芽が出ちゃってね(笑)、大きな収穫だったかぁと思いますね。もちろん小川原湖のイベントもね、良かったと思います。振り返ると、やっぱり“西”がちょっとね…元気がなかったかなぁ。変人(褒め言葉だと思います…笑)はいるんだろうけど、キーマンに繋がらないのかなぁ。もちろん我々も火を焚き付けに行けなかったという部分について反省するべきかもしれませんね。
実質七年の執行部々員でした。その中で印象に残っていることはありますか?
前半は会計担当でした。一番大変だったのは東日本大震災の義援金のとりまとめですかね。日本国内ばかりではなく、海外からも寄付があったりしたじゃないですか。なんだかんだで50万円ほど集りましたね。結構アレはね(ここで宙をみつめて、しばし沈黙)…アレは大変でした。うん。誰にも言ってないんだけど、レートの換算がね本当に大変でしたね。向こうは「いくらいくら送りました」って言うじゃないですか。換算すると合わないの(笑)。何回計算しても合わないの。でもね「多いからいいや」みたいな(一同爆笑)。あの頃は一ヶ月ぐらい、毎晩計算してましたね。知られざる事実、会計秘話(笑)。それにしても、あのときほどFacebookのチカラを思い知ったことはなかったかなぁ。凄いよね。